トピックス
新着情報内を検索する
7月27日(金)のブログで7月29日(日)午前中に高岡古城公園で高岡城跡の発掘調査の現地説明会があることをお知らせしましたが(→こちら)、当ブログの筆者もさっそく行ってきました。
今回の見学会は、高岡城跡(高岡古城公園)にある射水神社境内地で、1609(慶長14)年に加賀藩2代藩主前田利長が高岡城を築城した時のものとみられる石積み遺構が見つかったことによるものです。
今回の発掘調査の射水神社境内の試掘溝で見つかった石積み遺構の最大の石(縦55cm、横35cm)の表面には「卍」の刻印があり、現存する高岡城跡の石垣にも「卍」の刻印があることなどから、高岡市教育委員会ではこの遺構は高岡城築城期のものと推定しています。また、今回の発掘地点のすぐ西側の本丸広場の昨年(2011年)の調査では、藩政期の整地層で礎石が広範囲に見つかっており、高岡市教育委員会ではそれらの礎石を前田利長が住んだ本丸御殿の礎石と想定しており、今回見つかった石積み機構は本丸御殿と関連のある建物跡の可能性があるとしています。
今回の発掘調査は射水神社境内を含めて本丸の4地区で行われ、全ての発掘地で高岡城築城時の土層が良好な状態で残存しているのが確認されたとのことです。貫土橋(朝陽橋)周辺では、細かい石を敷き詰めた栗石層の上に人為的に作られた盛り土も見つかったそうです。今回の発掘調査は今から埋め戻されることになっており、今後のことはまだ正式には何も決まっていませんが、少なくとも本丸のあった地区は地下に築城時の遺構などが良好な状態で保存されていることがわかり、高岡城の歴史的な価値がなお一層高まりましたので、これらの貴重な遺構の今後の更なる発掘調査に期待が持てますね。
朝陽橋を渡ると、貫土橋(朝陽橋)周辺で見つかった、細かい石を敷き詰めた栗石層の上に人為的に作られた盛り土の説明を受けます。
児童公園地区では説明はなく、フェンスの外から眺めるだけ。ただし、後ほど射水神社境内の発掘地の説明で、ここの説明もしてくれました。現地表面の約1.3m下から築城時の整地層が確認されたそうです。
本丸広場の南の入口あたりの発掘現場。本丸の出入り口「虎口」があったとされる場所で、舗装の砂利を除去しただけで、地下10cmに築城時の整地層が確認されました。
射水神社境内の試掘溝です。写真の一番大きな石の表面に「卍」の刻印が見つかりました。
射水神社境内の試掘溝の全体像です。
(SH)
7月28日(土)には御旅屋メルヘン広場で第2回わくわくメルヘンランド「夏の工作広場」が開催され、たくさんのちびっこが工作を楽しんでいました。また、ワークショップ体験者には、参加特典として流しそうめんを楽しむことができて、暑い夏の日にひと時の涼を感じていました。(すぐ近くの旧万葉の杜では第2回地ビール&グルメフェスタin TAKAOKA が開催されていました。)
そうめんがけっこう速いスピードで流れるので中には、つかまえるのに四苦八苦している子も。
(SH)