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1609年(慶長14年)、加賀前田家二代当主・前田利長公により、開町された高岡。
利長公は5年後に亡くなり、高岡城も廃城となりますが、三代当主・前田利常公が利長公の遺志を継ぎ、高岡を商工業のまちとしてよみがえらせました。
利長公の33回忌にあたる1646年に造営された「前田利長墓所」では、利長公の遺徳を偲び、毎年9月13日に「前田利長公顕彰祭」が開催されます。
いつもは閉じている墓標の前の門も、この日だけは開かれて、全国最大級といわれるその大きな墓標を一般の方にもご覧いただいています。
下の写真の右側にある大きな石灯籠も大変大きく、高さ約6.8mもあります。
ちなみに、富山県内唯一の国宝である「瑞龍寺」は利長公の50回忌にあたる1663年に完成したお寺で、
「前田利長墓所」と「瑞龍寺」は、八丁道(昔の長さでいう“八町”=870mあることから名づけられた。)で結ばれています。
一年に一度、この日だけは、利長公に思いを馳せて、八丁道をゆっくり散歩してみるのもいいですね。
前田利長公顕彰会
日時:2016年9月13日(火) 顕彰祭10:00~10:40、墓所の一般開放10:40~14:00
場所:前田利長墓所(高岡市関72-1-1外)
アクセス:高岡駅から徒歩15分、新高岡駅から徒歩25分
(aa)
高岡開町の祖・前田利長公。
富山県唯一の国宝・瑞龍寺は利長公の菩提寺であり、
そこから延びる八丁道の石燈籠にいざなわれて歩いていくと
国指定の史跡である「前田利長墓所」に辿り着きます。
“大名個人墓所としては指折りの広さ”と謳われているだけあって
敷地内を歩いてまわると、ちょっとしたお散歩に。
こちらの墓所では
利長公高岡入城の日にちなみ、【前田利長公顕彰祭】が行われます。
それはすなわち、
普段は入口が閉ざされていて近寄ることのできない御廟を
間近に見ることのできる、年に一度の機会。
御廟には蓮華図文様が彫られ、夏の頃のお堀の風景を彷彿とさせます。
参道である八丁道には利長公の銅像もいらっしゃるので
ご挨拶をしがてら、てくてくと瑞龍寺からの道のりを歩くのも、また楽し。
(tt)
昨日の当ブログでお知らせしたように(→こちら)、本日9月13日(金)は国史跡の前田利長公墓所の一般公開があったので、さっそく行ってきました。
御廟は下段、上段、墓碑の三段構成。下段の一辺は15.5m。地面から墓碑までの高さは11.75m。近くで見ると、想像以上の大きさです。人と比較すると、その大きさがよくわかります。下段だけでも高さ3mあります。
御廟の上下段は狩野探幽下絵と伝承されている蓮華陽刻で覆われています。基本は2パターン。葉の向きが左右で異なります。
ところが、130枚の蓮華陽刻の中で、たった1枚だけ模様が異なります。異なる理由は謎だそうです。(逆光なので見えにくくて申し訳ありません)
1枚だけ異なるのは、背面(北面)の上段の右から4枚目。矢印の蓮華陽刻です。背面なので、年に1日の公開日にしか見ることができません。
墓所を囲む堀のスイレンの白い花は、もうすっかり終わっていました。きれいに咲いていた頃の様子はこちら。
(SH)