恒性皇子の墓
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県下唯一の御陵墓
恒性皇子は鎌倉時代末、倒幕運動を繰り広げた後醍醐天皇の皇子で、元弘の変で1332年、後醍醐天皇が隠岐に流されたとき、皇子は越中の二塚に配流になっていました。しかし、翌年隠岐を脱した後醍醐天皇が再び倒幕ののろしを上げると、恒性皇子を中心に越中の宮方が勢力をのばすことを恐れた幕府は、越中守護の名越時有に命じて悪皇子宮(幽閉した館跡の所在地)に幽閉し、恒性皇子を殺害しました。長い間その旧跡は不明でしたが、1909年、東宮殿下(大正天皇)北陸行啓に際して宮内省の調査が行われ、皇子の御陵墓として裁可されました。二塚地区には、ここが終焉の地となった恒性皇子にまつわるいくつかの史跡があり、皇子の陵墓も守られています。
基本情報
- 所在地
- 〒933-0816 富山県高岡市二塚
- アクセス
- ■JR城端線二塚駅から徒歩10分
■能越自動車道高岡ICから車で10分
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