万葉歌とともに、高岡の風景と歴史に触れる旅
富山県高岡市は、日本最古の歌集である万葉集と深いゆかりをもつまちです。
奈良時代、万葉集の代表的な歌人である大伴家持(おおとものやかもち)は、越中国守としてこの地に赴任し、天平18年(西暦746年)から約5年間を過ごしました。
在任中の家持は、高岡周辺の自然や人々の暮らしに触れながら多くの歌を詠み、それらは万葉集の中でも「越中万葉」と呼ばれています。
高岡市は、万葉集が生まれた重要な舞台の一つといえます。

現在、高岡駅前には大伴家持の銅像が建てられ、
このまちが万葉集と深く結びついていることを、訪れる人に静かに語りかけています。

本特集では、越中万葉の歌を刻んだ越中万葉歌碑などを手がかりに、
万葉の歌と風景が重なり合う高岡市内の観光スポットを巡ります。
(地域おこし協力隊・冨田実布)
目次

高岡駅前 大伴家持銅像〜越中万葉の出発点〜

高岡駅前に立つ大伴家持の銅像は、越中万葉めぐりの出発点ともいえる存在です。
都から離れた越中の地で、家持は自然と向き合い、歌を詠み続けました。

この銅像は、万葉集がこの土地と深く結びついて生まれた歌集であることを、静かに伝えています。

・堅香子草の花を攀(よ)ぢ折る歌一首
もののふの
八十(やそ)をとめらが
汲みまがふ
寺井の上の
堅香子(かたかご)の花
・現代語訳
たくさんの乙女たちが
入り乱れて水を汲む、
その寺の井戸のそばに咲く
堅香子の花よ。
大伴家持は、寺の井戸のそばに咲く堅香子の花を、水を汲む乙女たちの姿と重ねて詠みました。
特別な出来事ではなく、日々の暮らしの中にある風景を、そのまま歌に留めている点が、この一首の特徴です。

この歌に詠まれている堅香子の花は、現在、高岡市の花にも定められています。

また、堅香子は、家持の時代からこの地に咲いていた花でもあります。
銅像のそばにその姿を見ることで、万葉の歌が今の風景と地続きであることを実感できます。
何気なく立っている像や足元の表現も、この歌を知ることで、家持が見つめていた世界の一部として感じられるのではないでしょうか。

高岡古城公園〜四季のうつろいの中で、万葉の世界にふれる〜

高岡古城公園は、高岡城跡を整備した公園で、中心市街地にありながら、約21万平方メートルという広大な敷地を有しています。
そのおよそ3分の1を水濠が占め、水面に映る木々や空が、野趣あふれる美しい景観をつくり出しています。
この公園は「日本さくら名所百選」にも選ばれており、春には約1,800本の桜が咲き誇ります。水濠に映る桜の姿は格別で、多くの人々を魅了してきました。

夏には新緑がいきいきと生い茂り、秋には紅葉が園内を彩り、冬には白銀の雪景色が広がります。


四季折々に表情を変える風景は、訪れる人の心を静かに癒してくれます。
高岡古城公園では、毎年「高岡万葉まつり・万葉集全20巻朗唱の会」が行われます。
この祭りの特徴は、『万葉集』全20巻に収められた4,516首すべてを、3昼夜かけて一首ずつ詠み継ぐ朗唱にあります。
近年は、感染症の流行などの状況を踏まえ、会場での朗唱に加えて動画朗唱も取り入れながら、歌を詠み継ぐ形式が続けられています。

朗唱は、万葉集の第一首から始まります。
・万葉集 巻1-1(雄略天皇)
籠(こ)もよ
み籠もよ
籠持ち
ふくしもよ
この岡に
菜摘ます子
家聞かな
名告(なの)らさね
そらみつ大和の国は
おしなべて
われこそ居れしきなべて
われこそませ
われこそは
告(の)らめ家をも名をも
・現代語訳
籠(かご)よ、美しい籠を持ち、掘串(ふくし)よ、美しい掘串を手に、この丘に菜を摘む娘よ。
あなたはどこの家の娘か。名は何という。そらみつ大和の国は、すべてわたしが従えているのだ。
すべてわたしが支配しているのだ。わたしこそ明かそう。家がらも、わが名も。
・意味
籠を持って菜を摘んでいる娘に呼びかけ、どこの家の者か、名は何というのかと問いかけています。
最後に、自らが名を名乗る存在であることを示す歌です。
万葉集には、天皇から名もない人々まで、さまざまな立場の声が収められています。
その始まりには、個人の素朴な思いや、日々の暮らしの中で生まれた感情があり、
そこから自然や人の営みを重ねるようにして、全4516首へと広がっていきました。
古城公園の穏やかな風景の中でこの歌に触れると、万葉の歌が特別な場所のために詠まれたものではなく、
身近な自然や日常の中から生まれた言葉であることが感じられます。
万葉まつりの朗唱や風景を通して見る古城公園は、万葉集が過去の文学にとどまらず、
今もこのまちの中で受け継がれている文化であることを静かに伝えています。
射水神社〜二上山を仰ぎ、神々を讃えた万葉のまなざし〜

高岡古城公園内にある射水神社は、「二上神(ふたがみのかみ)」をご祭神とし、霊山・二上山の神々を祀る神社です。
もともとは二上山に鎮座していたとされ、その由緒からも、古来よりの自然崇拝の名残を色濃く伝える社であることがうかがえます。
奈良時代、越中国守として越中に赴任した万葉歌人・大伴家持も、この二上山を仰ぎ見ながら歌を詠みました。
『万葉集』巻17に収められた「二上山の賦(ふ)」と呼ばれる一首です。
この歌で家持は、「振り返って仰ぎ見ると、神の御心のためか、なんと尊く、見ていても飽きることのない皇神の山である」と、二上山を神々の宿る山として讃えています。
二上山は、高岡市の北側に位置し、当時の越中国庁が置かれていた伏木の地からは、西へおよそ4キロほど。
越中に赴任してからの家持は、日々この双峰の姿を目にし、その変わらぬ佇まいに神々の存在を重ねていたことでしょう。

現在、二上山には射水神社の摂末社4社が鎮まり、また高岡古城公園内の椿山には、末社として高岡市護国神社が鎮座しています。
山と里、そして人々の祈りが、今も静かにつながっています。
なお、この「二上山の賦」の歌碑は、高岡市万葉歴史館の前庭に建てられています。

実際に二上山を仰ぎながらこの歌に触れることで、家持が見た風景と、現代の高岡の景色が重なり合うのを感じることができます。
ぜひ、歌碑とともに写真を撮り、万葉の世界に思いを馳せてみてください。

歌碑1「二上山の賦」高岡市万葉歴史館 前庭
・二上山の賦 一首 巻17・3985(大伴家持)
この山は射水郡にあり
射水川 い行き巡れる
玉くしげ 二上山は
春花の 咲ける盛りに
秋の葉の にほへる時に
出で立ちて 振り放け見れば
神からや そこば貴き
山からや 見が欲しからむ
すめ神の 裾廻の山の
渋谿の 崎の荒磯に
朝なぎに 寄する白波
夕なぎに 満ち来る潮の
いや増しに 絶ゆることなく
古ゆ 今の現に
かくしこそ 見る人ごとに
かけて偲はめ
・現代語訳
射水川が巡って流れる(玉くしげ)二上山は、
春の花の満開の時にも、
秋の葉の色づく時にも、
外に出て振り仰いで見ると、
その神としての性質のせいか、あんなにも貴い。
山としての性質のせいか、見たいと感じる。
この地を統べる神の山、その山裾やますその
渋谿しぶたにの崎にある荒磯に、
朝凪の時に寄せて来る白波、
夕凪のときに満ちて来る潮、
その波や潮のようにいよいよ増して絶えることなく、
昔から今現在に至るまで、
このように、見る人すべてが
心に懸けて賞賛するのだろう
二上山を仰ぎ、射水神社に祈りを捧げる。
その営みは、万葉の時代から千年以上を経た今も、高岡の地に静かに受け継がれています。
山や川、里の風景の中で生まれた歌に触れることで、この土地が万葉集と深く結びついてきた理由が、少しずつ見えてきます。
雨晴海岸〜万葉歌碑が語り継ぐ、日本を代表する渚の風景〜

雨晴(あまはらし)海岸は、高岡の万葉めぐりの旅には欠かせない場所です。
高岡市を代表する景勝地のひとつで、海越しに立山連峰を望む独特の景観は、「日本の渚百選」にも選ばれています。
海と山が同時に視界に収まる、日本でも数少ない場所として知られています。

穏やかな砂浜と岩礁が連なる海岸線、そして天候や時間帯によって表情を変える立山連峰。
晴れた朝には、澄んだ空気の中で、白く連なる山々が海の向こうに立ち上がるように見えます。
この劇的な風景が、多くの人々を惹きつけてきました。


この雨晴海岸には、越中万葉歌碑23「渋谿(しぶたに)の清き磯廻(いそみ)」が建てられています。

歌碑は、道の駅 雨晴の2階デッキにあり、海と磯を見下ろす場所で、万葉の歌と風景を同時に味わうことができます。

・渋谿の清き磯廻を詠んだ歌 巻17-3954(大伴家持)
馬並めて
いざ打ち行かな
渋谿(しぶたに)の
清き磯廻(いそみ)に
寄する波見に
・現代語訳
馬を並べて、さあ出かけよう。
渋谿(現在の雨晴周辺)の清らかな磯辺に
打ち寄せる波を見に。
この歌には、目の前に広がる風景への率直な感動と、
その美しさを誰かと分かち合いたいという気持ちが込められています。

実際に海を見渡すと、大伴家持がこの場所で感じた高揚感が、
今も風景の中に息づいていることに気づかされます。
高岡市万葉歴史館〜歌と風景を、言葉として深める場所〜

高岡市万葉歴史館は、万葉集や越中万葉、大伴家持に関する資料を通して、この地と歌との関わりを伝えています。
高岡の風景や歌を思い浮かべながら訪れると、万葉の言葉が、より身近なものとして感じられる場所です。
万葉歴史館の近く、館口交差点には、万葉歌碑17「立山の雪」が建てられています。

この歌は、越中の歌人、大伴池主(おおとものいけぬし)が詠んだ一首で、立山を神聖な存在として仰ぐ、万葉の自然観をよく伝えています。

万葉歌碑17「立山の雪」巻17・4004(大伴池主)
立山に
降り置ける雪の
常夏に
消(け)ずて渡るは
神ながらとそ
・現代語訳
立山に降り積もった雪が、
夏になっても消えずにあり続けるのは、
それが神のご意思のままだからなのだ。
水道つつじ公園から見える立山連峰
この歌は、立山の美しさを称えるだけでなく、山そのものが神聖な存在として崇拝されていたことを表しています。
自然の営みを、人の力を超えたものとして受け止め、そこに神の存在を感じ取る。
万葉の時代の人々の自然観が、静かに伝わってくる一首です。
まとめ〜万葉の言葉が風景として残るまち・高岡〜
これまでに巡ってきた場所や歌を振り返ると、高岡という土地と万葉集との結びつきが、少しずつ見えてきます。
越中万葉歌碑を手がかりに歩くことで、歌に詠まれた情景と、目の前の風景とが重なっていきます。
万葉の歌とともに高岡を巡る時間は、名所を訪ねるだけでは気づきにくい、
この土地の自然や暮らしのあり方に触れるひとときとなるでしょう。
万葉の歌に想いを馳せながら、高岡の風景を巡る、静かな旅をどうぞ。
※本文中の万葉歌の現代語訳および解説は、
奈良県立万葉文化館「万葉百科」(https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/)
をもとに、編集・加工のうえ構成しています。
(2026年1月19日閲覧)






